昭和の記録  (戦塵日記・昭和15年)

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zoom RSS 昭和15年2月4日

<<   作成日時 : 2006/08/18 09:58   >>

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四日 (日) 晴れ

今朝はとんだ病人がおこっていさゝか泡を食った。六・〇〇頃少し騒がしいのに眼が覚め
た。六班の初年兵浦妙一が急に苦しみだしだと言ふ。苦しい息使いが将校室
迄聞えた。兵室へ行ってみると、拳を握りしめて、苦しがってゐる。早速、週番上等兵
を医務室へやって連絡を取ってみると、すぐ連れて来いと言ふので擔架で兵
に擔がして入室させる。此の前の補充隊にゐた時、自分が週番をとってゐる
ときこんな事があって、大した事もなく済んでしまったので今度も大した事はあるま
いと、兵を医務室に送ってから又床に入って寝てしまってゐた。起床時間七時
半に起きて、点呼報告に一緒に司令に報告するのに容態をよく知ってなければ
工合が悪いので医務室へ行って、當直軍医才津見習士官に聞いてみると
あの兵隊はもう医務室に来た時にもう駄目で病因不明の為病因へ送りまし
たと言ふ。週番下士官から容態の報告がなかったので大した事ないと思っ
てゐたのがとんでもない、もう死んでゐたのだ。脳脊椎膜炎らしいと言っ
てゐた。すぐに週番司令に報告する。自分も驚く。中隊長に乗用車を
出してすぐ報告。中隊長はすぐ病院に行く。九時半頃大隊長に一件報告
すると、週番士官、日直軍医の処置が悪いと言って少し叱られる。重態の
患者を無暗に運び廻したのがいけないと言ふ。而し俺は医者ではないから苦し
みだしてから十分や、二十分の病人が重態かどうかはわからぬ。
午前はR自動車教育に出たが午前中に、中隊隔離を言ひ渡されて
将校以下中隊兵舎から出られなくなった。午后は何もせず。将校室にゐる。眠
くて少しゴロ寝をする。
病院では病院に来た時は既に死んでゐたものを扱ふわけには行かぬとか。隊
で死んだ事にするかなかなか意見がまとまらず中隊長と軍医達と協議したと
か。午前解剖して、結果、脳脊椎膜炎と決定したさうだ。中隊長は四時頃中隊
へ来た。今日の中に黒河へ行って火葬に附す。夕方五時頃中隊長と崎
山少尉と火葬に行く。夜おそく帰って来る。
下山少尉は今朝から出勤したが動員掛で中隊にはゐない。明日から週番
交替して貰ふ。
にちゆう点呼に頭痛のする者ないかと言ふと、十四、五名ある。その中少し重いのだ
けを六名、不時診断を受けさせる。一名は体温三十九度余もあってすぐ入室
他は中隊内にて隔離。香道に八名許り隔離する。まだ脳膜炎の
徴候はないが念の為に隊内で隔離をする。週番司令に報告する。今夜は
四中隊でも一名患者が発生しすぐ入院させたさうだ。二中隊でも熱のあるも
のが発生して不時診断をしてゐる。此れでは聯隊全部病人だらけになって
しまふ。  今夜は就寝十二時三十分。

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